【写真特集】癌を生き延び、コロナ禍...

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【写真特集】癌を生き延び、コロナ禍で出産する(ニューズウィーク日本版)

<中絶や不妊治療の権利と同じように、母親になることも女性にとって最も基本的な権利の1つだ>

赤いレーザーポインターを使って化学療法で経験した痛みや感情を表現する。骨は火が出るように痛く、頭がうまく働かない状態も表している

【写真特集】癌を生き延び、コロナ禍で出産する(ニューズウィーク日本版)

私、ロシアの写真家のアリョーナ・コチェトコワは29歳の誕生日に乳癌だと診断された。怖かったし、受け入れ難かった。完治までどう過ごせばいいか分からなかった。そこで、これを機に外界ばかり撮り続けてきたカメラを自分に向けてみようと思い立った。<この記事の他の写真を見る>単に癌への恐怖をあおるのではなく、重い病気に直面した人がどのように感じるものかが伝わるような、鮮烈なイメージをつくり出したいと思ったからだ。癌患者が困難を乗り越えられるように鼓舞するようなものにできればとも願った。化学療法で髪が抜け始めたので、長い三つ編みを切り落とした。この写真が私の心と体が経験した変化を象徴する作品の1つになった。治療の段階ごとに変わる外見を私は撮り続けた。精神状態が憂鬱なとき、自信に満ちているとき、終わりが見えず疲れ切っているとき、内省に沈んでしまうときなどさまざまだった。治療の副作用で強い吐き気に襲われベッドに横たわる自分を撮り続けた。試行錯誤するうち、赤い常夜灯が自分の感情にしっくりくることに気付いた。偶然にも処方された化学療法の薬にも赤いものがあり、こうして赤い光を使った写真が量産された。病気は自分の人生を見直す機会になった。当初の撮影目的はそのためだけだったけど、病院で他の癌患者たちと出会ったことで少し変化した。仲の良い患者の友人に作品を見せると、彼女が治療中に感じることと非常に近いことが表現されていると言ってくれて、刺激になった。体が弱り外出に難儀するなか、作品撮影は発病前の私と闘病中の私をつなぐ唯一の活動にもなった。私という人格の中心にあり、一種の癒やしでもあった。言葉で表せないものを表現できる写真の強みに助けられたことを実感した。それにしても、化学療法は主食のボルシチが喉を通らないほど気持ち悪く、つらかった。多くの患者のように、「なぜ私がこんな目に」という思いばかりが浮かんだ。記憶力や集中力が低下する副作用にも苦しんだ。癌である事実そのものだけでなく癌治療もとてもつらいことを学んだ。<不妊の宣告後に妊娠が発覚>癌から生還して数年たち、今度はもう子供を産める体ではないと医師に宣告された。癌サバイバーは不妊になる確率が高いそうだ。乳房の切除と再建手術を受けていたので、もともと授乳は望めなかった。不妊は癌宣告にも匹敵する精神的ショックだった。そうこうするうちにコロナ禍が起き、元癌患者として高リスク集団に当たる私は仕事もできず家に籠もり切りになった。再び自分を写真で記録する日々が始まった。そんなときになんと妊娠が発覚した。待ち望んでいた妊娠だが、同時に妊婦はコロナ重症化リスクも高い。しかも癌の既往歴は流産の可能性も高めるという。私の病歴と世界的なパンデミックで大変ややこしい事態になり、喜びと不安の日々が始まった。そうしたなかで直前に会ったばかりの私の両親のコロナ感染が判明し、数日後には夫も続いた。私は友人のアパートの空室で1人隔離生活を余儀なくされた。健康状態を考えて、帝王切開で産むことになった。乳房切除以来の大手術だ。夫は出産に付き添いたがったが、コロナの影響でそれもかなわなかった。だがなんとか無事に男の子を出産できた。「神の恵み」を意味する「フョードル」と名付けた。息子を産むまでの私の気持ちを表現するのはとても難しい。でも、出産を希望する癌サバイバーを勇気づけるためにも、作品を残そうと決めた。癌の生存者は出産すべきでないという考えは今でも根強い。ただ、特別な医療措置と専門家の助言の下、健康な子供を産んだ例も数多い。中絶や不妊治療の権利と同じように、母親になる権利も女性にとって最も基本的な権利の1つである。私の体験は決して個人的にとどまらない広がりがあるはずだ。同様の経験をしている人たちに愛と助けが届けばいいと願っている。

Photographs by ALYONA KOCHETKOVA